Japan Typography Association

桑山弥三郎

昔、使用された蔵の鍵のいろいろ
昔、使用された蔵の鍵のいろいろ

神秘・解放・保護の鍵

子供の頃、田舎の家の前に、大きな古い倉があった。干物屋が使用しなくなったその倉を、父は借りて材木を入れていた。大きな扉があり、その錠を長い先の折れ曲った鍵で開けた経験は、強烈な印象として覚えている。今日、鍵は日常必要な道具で、両親が働いているので、鍵を持ち通学している「鍵っ子」が多くなっている。玄関ドアー、カバン、ロッカー、金庫、自動車、自転車など一人がいくつもの鍵を持っている。

鍵の歴史は古く、古代から始まる

鍵は錠と対になり機能するので、錠の構造によって鍵の形態は異なって発達した。8世紀の「日本書紀」には鍵が登場するので、この頃から使われていたことが判る。海外では古く、エジプトでは紀元前3000年頃、鍵と錠は木で作られていた。ギリシャでは、前8世紀文学作品に鍵が出てくるので、古代から使用されていた。ローマ時代のポンペイの遺跡の中に鍵屋があり、今日の鍵屋と同じように鍵と錠が並んでいるという。古くからあった鍵が、シンボルとして使われ始めたのは、中世の鍵の紋章からのようだ。ロンドン南西のソールズベリー平野に、謎の大きな鍵が現れている。ここは小麦畑で、収穫前の小麦がなぎ倒され、小さなものでは7メートル、大きなものは30メートルに及ぶ。鍵だけではなく不思議な図形、古代の象形文字などもある。1980年は数十個だったものが次第に増え、1990年は四百個以上になっている。朝日新聞の見出しには、「宇宙人のサービス?ミステリーサークル」とある。原因不明のこの大鍵は、今日も出現しているのだろうか。宇宙人も、鍵が必要なのだろうか。

鍵が象徴する意味は多い

家を預かる人である主婦は、家の財産を管理し、地下の貯蔵品や、保存品を開閉する鍵を持つことから、鍵は主婦の座も表わす。8世紀後半に編纂された「万葉集」に、明るくふるまう娘に鍵を渡す主人の歌がある。近代作家のイプセン「人形の家」(1879)やチェーホフ「桜の園」(1903)に、主婦の座を表わす鍵の話が織り込まれている。

中世の都市国家は、城壁で囲まれていた。敵軍に包囲されると、連帯と結束によって最大の力を発揮しなければならなかった。城壁が破られ乱戦になると、旗や鎧につけたシンボルが目印になった。敵に降伏すると城門の鍵を渡すことにより、服従を表わした。以後は、敵方が自由に都市を出入りすることが許された。 現代では、大切なカギとなる重要語をキーワードとか、クイズや問題の解決点を、キーポイントなどという。鍵の意味は他に、秘密、制御、力、支配、信頼、慎重、権威などがある。

世界の人々が関心を持つペテロの鍵

イエス・キリストは、使徒ペテロに言われた。「わたしはあなたに天の王国のかぎを与えます。何でもあなたが地上で縛るものは天において縛られたものであり、何でもあなたが地上で解くものは天において解かれたものです」。(マタイ16:19)ペテロは三つの象徴的な鍵を用いた。第一の鍵はユダヤ人のため、第二の鍵はサマリア人のため、第三の鍵は異邦人のために。要するに、イエスは天の王国に入る特権を、すべての人種に公平に与えることを、ペテロに鍵を与えることにより示されたのである。

鍵のシンボルのいろいろ

鍵で表わす業種は、鍵屋、ホテル、レストラン、銀行、教会などがある。日本の紋章には土蔵の鍵の他、西洋鍵が明治以降使われている。西洋紋は都市として、バチカン、ジュネーブなどに多く、特にドイツに多い。王としては、フランスのルイ15世(1715-74)などの他に多く使われている。

図版出典:「世界の鍵と錠」里文出版編2001、「朝日新聞」1991年7月27日夕刊、伊藤幸作編「日本の紋章」ダヴィット社1968、Walter Leonhard「西洋紋章大図鑑」美術出版社1979
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ロンドン郊外に現れた大鍵ロンドン郊外に
現れた大鍵
カロル・バリ(チェコ)<br />の銀行カロル・バリ(チェコ)の銀行
ロンドンのビル管理会社ロンドンのビル管理会社
マドリードの鍵屋マドリードの鍵屋
アムステルダムで見た紋章アムステルダムで見た
紋章
チューリッヒにある鍵の看板チューリッヒにある
鍵の看板
日本の鍵紋日本の鍵紋
西洋の鍵紋西洋の鍵紋
南金錠と鍵南金錠と鍵
鍵紋は数種類ある鍵紋は数種類ある

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